2014年

4月

11日

ドミノ

完成する画のイメージすら出来上がっていないのに、ドミノを並べる作業自体が楽しいと言い聞かせているような。

少しでもミスをしたら積み上げてきたものは崩壊する。

剰えそこに広がるのはただの斑模様。

完成図が見えていなければ、少なくともしっかりとイメージ出来ていなければ全然楽しくない。

楽しけりゃそれでいいんだよ、などと開き直れるほどの画を未だ描けていなかった。

チーム全員で「よし、じゃあこんな完成図を目指しましょう!」と一丸となって並べることが出来るのならそりゃプロセスも楽しかろう。

何度も何度も配置や間隔を練り直しながら、何千或いは何万と並んだドミノの端っこを人差し指で出来る限りそっと押すその日を想像しながら、少しずつ形を成していく目の前の光景と頭の中のイメージがゆっくりとオーバーラップしていく快感を夢に見ながら、そして完成した瞬間にギャラリーが上げる歓声を期待しながら、一つ一つ丁寧に等間隔で置いていく。

 

そうでないのなら、並べる意味など無いだろう。

 

世のロマンチストはそれでも、続けることに意味があるなどと言うのだろうか?